里山辺地区は、美ケ原高原の西麓を流れる薄川が形成した扇状地の、扇央の大部分と扇端部の一部から成り、古代から近代までの、多くの文化遺産があることから、松本平では比較的早くから開発され、発展してきた地域であることが分かります。

里山辺の「山辺」という地名は、古代における地域の名称「山家郷(やまんべのごう)」に由来するとされ、古代信濃における国府が、この地域にあったのではないかとも推定されています。

 

平安時代初期には、高句麗系王族の渡来人である須々岐(すずき)氏が定着し、中心となって開発を進めたようです。

15世紀の初頭には、守護職の小笠原氏が、入山辺地区にまたがる林城を築いて、支配の拠点としていました。

現在地域は「歴史の里」として、市の観光の重要な資源となっているとともに、市教育文化センターなども建設されて、「文化・教育の地」としても位置付けられています。

人口は1万1688、世帯数は4977(2013年5月1日現在)。

17ある町会が、さまざまに協力し合って行う祭りや行事が多くあります。

千鹿頭社と須々岐水(すすきがわ)神社では、7年目に1度の卯(う)年と酉(とり)年に、「御柱大祭」が行われます。

高さ20㍍以上のスギの大木を山から切り出し、皮をむいて長さ18㍍ほどに成形し、里曳(び)きをして社殿脇に建立します。旧松本藩領内の御柱の特徴として、どちらの神社の御神木も根の部分を大きく残して伐採し、男性器に見立てた、こぶのような形の「木造り」をします。

須々岐水神社では毎年、9台の大きな屋形船を境内に引き入れる「お船祭り」も行われます。
美ケ原温泉に伝わる「道祖神祭り」は、男性器をかたどった長さ約1・6㍍の御神体を、地元の若い男性たちが担いで通りを練り歩き、各旅館を回って宿泊客の女性を御神体に乗せ、掛け声とともに激しく前後に揺するというもので、縁結びや子宝成就、家内安全を祈って行われます。県内初の弥生人による古墳とされる「針塚遺跡」をはじめ、地域には地元の歴史を物語るものが多くあります。

1886(明治19)年開校の「山辺学校」の木造建物は現在、「歴史民俗資料館」として生まれ変わり、教育の歴史や地域の風俗などを展示しています。

市教育文化センターでは、プラネタリウムや映画の上映が行われていて、親子科学工作教室などの各種講座もあり、地域外から大勢の人が訪れています。

 

 

 

 

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