第二地区は薄川より北、旧松本城下町の東南部分の境です。現在ある18町会の半分ほどの範囲が、江戸時代までの町人や職人の町として発展してきました。

天神小路北側の一部には、武家屋敷もありました。

現在の人口は2826、世帯数1471(2012年9月1日現在)ですが、初詣でや七五三などでにぎわう深志神社をはじめとして、10カ所以上の神社があり、芸術文化発信の中心地である、まつもと市民芸術館、人形店が集まる高砂通り、藤森病院や相澤病院といった総合病院などもあり、地区内の至る所で、おいしい水が湧き出ることもあって、地区外からも常に大勢の人が訪れています。
深志神社は南北朝時代に、信濃国守護職であった小笠原貞宗が、諏訪明神の霊夢を受けて、当時の居城である井川城の丑寅(うしとら=北東)の方角に祭ったのが起源とされています。

古くから宮村大明神と呼ばれ、当時の社殿は南向きだったようですが、深志城(後の松本城)が築城され始めたころの1504(永正元)年に、今度は深志城の辰巳(たつみ=南東)方向の守護神となるべく、現在と同じ西向きの社殿に直されたのだといいます。

後に鎌田地区にあった天満宮も合祀(ごうし)して、歴代の城主が手厚く保護をし、現代に至るまで松本城下町住民たちの、心のよりどころとなっています。
地区内には、平成の名水百選に認定された「まつもと城下町湧水群」を象徴するような、有名な井戸があります。その1つが「源智の井戸」です。この井戸は古くから知られ、小笠原氏の家臣であった河辺与三佐衛門源智の所有であったため、その名を採って呼ばれるようになりました。
また「伊織霊水」は、松本藩主水野忠直の家臣で、1686(貞享3)年に農民一揆を起こした義民たちの、助命に奔走したとされる、鈴木伊織の墓所前にある湧き水です。
この他にも多くの井戸があり、地元の住民たちが毎日のように清掃し、朝から晩まで水をくむ人の姿が絶えることはありません。

地区賛歌〝せせらぎによせて〟公民館活動から歌詞を募集

第二地区は意外なことに最近まで、地区住民たちが集う中心施設がありませんでした。

1998年に開館した第二地区公民館は、「この地区にも公民館があったら」という、住民たちの願いが形となった建物です。

福祉ひろばも併設され、70以上のサークルが利用しています。

公民館が主催する講座もあり、その中の「歌で健康力アップ講座」では、地区住民から歌詞に入れてほしい言葉や情景を募集して、「第二地区讃歌(せせらぎによせて…)」が昨年誕生しました。住民たちの集まりや文化祭などで歌ったり、楽器演奏したりと、とても好評です。


また学校がない地区ですが、公民館では学校サポート事業として、「松本市小学生将棋大会」を開いています。

プロ棋士による指導もあるので、地区外からも大勢の小学生が参加します。

 

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