松南地区はJR南松本駅一帯の9町会からなる地域だ。古墳時代から平安時代の遺跡、遺物が多数発見されるなど、古い歴史がある半面、近年は公営団地の建設、大型商業施設の出店が多く、発展著しい地域だ。
同駅北側の大型家具店建設予定地の一角から、西暦300年ごろの住居跡や土器が発見されたのは記憶に新しい。この「出川西遺跡」は、弘法山古墳を造った人々の「ムラ」の可能性が高いことが、その後の調査で発表された。平安時代ごろまで栄えていたが、急激に廃れ、太平洋戦争中に工場疎開で開発されるまでは、一面の桑畑だったという。


1942(昭和17)年に地区内の「宮田町」の由来にもなった宮田自転車製作所松本工場(当時は軍需工場)などができ、その資材輸送や従業員の通勤用のため、44(同19)年に南松本駅が開業。現在の開明小学校の辺りには競輪場が造られ、数年で廃止になったが、市役所に「観光競輪課」も設けられた。

戦後、軍需工場は閉鎖したが、新しい住宅地や工場地として発展していった。

さらに国道19号(バイパス)が開通したのに伴い、付近には郊外型の大型商業施設や飲食店が軒を連ね、今では市内屈指の人が集まる場所になっている。

地区内に遺跡はあるが、神社・仏閣がなく、祭りなどもなかったため、地域の人同士の結び付き(ご近所付き合い)が乏しかった。このため、地元住民は93(平成5)年に「なんぶ未来(ゆめ)まつり」を始めた。今年で21回目を迎え、地区の誇りになっている。

また同地区住民だけでなく市民の切実な願いだった、開かずの踏切ともいわれる「南松本駅南側踏切(宮田前踏切)」の立体化が、本格的に動き始めている。

開かずの踏切が解消されることで、人の流れはよりスムーズになり、新たなる活気を生むだろう。

そして同地区の新たな未来の象徴として、12(平成24)年に日本三大桜の一つとされる山梨県北杜市の「山高神代桜」の子孫が、芳野町西公園に植樹された。

ロマンと夢であふれる松南地区の未来は、神代桜が末永く見守っていくだろう。

 

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