岡田の地名の由来は、女鳥羽川によってつくられた河岸段丘(岡)を開拓し田畑になった場所という意味から。
また地区内には多くの民話や石造文化財が残されており、それを後世に伝えるために書物などにまとめ保存している研究会や委員会が多いのも、歴史あるこの地区ならでは。
この地域は、「岡田豊年、よそ米食わず(岡田が豊作の年は、他地区では水害で米が取れない)」という文句があるほど、昔から水不足に悩まされてきました。
唯一の河川である女鳥羽川は、浅間など他の地域の水源でもあるので、たびたび水をめぐった争い(水論)が起きました。そこで江戸時代に松本藩の仲裁により、流域各村々の間で大番水制を取り決め、それが今日まで続いています。
また地区内に多くのため池や用水路を造ったり、時には雨乞いをして神仏に頼ってきたりと、この地の人々は水を得るために多くの時間と労力を割いてきました。
共に苦労をしてきた地区の人々の絆は固く、地元愛は強いです。
今後は学校周辺に増えた若い世帯が多い新しい地域と、昔からの地域をつなぐ新しいネットワークを形成し、「安全、
安心の岡田」を目指していきます。
岡田地区町会連合会長 芦田 勝弘 さんより
岡田地区は、女鳥羽川河岸段丘の南向き斜面に、古く旧石器時代から人が住み発達してきた地域で、遺跡・遺構や民話・伝説なども数多く残り歴史的深さが感じられます。
昭和29(1954)年の昭和の大合併前には3300人ほどだった人口も、現在では7200人ほどになり、新しく越してきた住民の方が多くなりましたが、周囲には里山や田畑が広がっており、今でも助け合いの文化が根付いているなど、農村の雰囲気を数多く残している地域です。こうした歴史や自然・文化など、地域の特徴を生かした街づくりに取り組んでいます。