自然と歴史と義の島

5月後半の穏やかな季節に壱岐・対馬を訪ねた。

韓国釜山までわずか50㌔弱のまさに国境の島だ。

島の人口は昭和35年のピークから、現在は3万3千人余と半世紀で半減した。
観光産業従事者も多く、年間日本人観光客数16万人に対し、韓国人は2倍の30万人。

島の不動産が韓国など外国資本により次々と取得されていることは見逃せない問題だ。

島のほぼ全域が美しいリアス式海岸で、魏志倭人伝には「断崖絶壁多く、山深く、道は獣道の如く細く、田は少なく、海産物を食し…」と紹介されている。

対馬暖流の影響で比較的温暖で多雨の海洋性気候。絶滅危惧種のツシマヤマネコは約80頭生息すると推定される。

6世紀後半の白村江の戦い以降、本土より渡った防人により守られて以来、対馬は国防の最前線となった。

室町期より幕末までの六百年間、島主で藩主の宗氏により支配統治された。

朝鮮通信使一行を釜山から迎え、江戸まで警護随行する任務を担うなど、藩は交易・国防上の最重要拠点であった。

現存する三十以上の要塞や砲台等の歴史遺産が国防の島としての重要性を物語る。

明治以降は大陸との関係の前線としての整備が行われた。

対馬沖で日本の連合艦隊がロシアのバルチック艦隊を撃破したことは有名だが、対馬の海岸にたどり着いた多くのロシア兵たちを島民が救助していた。殿崎の日本海海戦記念碑に東郷提督揮毫による「恩・海・義・嶠」の4文字が記され、島民の義の気高さをたたえている。

戦いに敗れた敵兵を温かく人道的に介抱をした故事を後世に伝えるべく、今も活動する島民たちがいる。来年は日本海海戦開戦百十年を迎える。

日本はじめアジアなどでの領土・領海問題は、一層複雑化している現在、国境の島・対馬の抱える厳しい現実を多くの国民に理解を深めてもらうと共に、実際に対馬の地を訪れ、対馬経済にわずかでも貢献してもらえたら幸いと思う。
(信毎観光 岩﨑象二郎)

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