今回の「わが町」紹介は東部地区です。
鯛萬の井戸

東部地区(女鳥羽1・清水1-2・大手4-5・城東1-2・丸の内)は、松本城の東側に広がる14町会からなる地域です。この多くが、江戸時代から城下町として発展してきました。 このため、城下町の名残が今も色濃く、出居番(でいばん)町、餌差(えさし)町、鍛冶(かじ)町など、聞きなれない町会名が数多くあります。これは江戸時代にそこに住んでいた人たちの職業から名付けられた職人町だからです。

源橋
老朽化のため、2012年11月から架け替え工事が行われていた源橋が今年7月に完成。竣工(しゅんこう)安全祈願祭では、清水東町会の子ども神輿(みこし)と桜町町会の守護神輿の練り回しが行われた。

親町三町の一つ、東町は善光寺街道の道筋にあったので旅人の往来が多く、旅籠(はたご)町として栄えました。そのため、他国の文化や情報が伝わりやすく、松本の文化の中心となっていました。 また女鳥羽川や多くの湧水があり、水源に恵まれた地区であります。

鯛萬の井戸や女鳥羽の泉などは、「まつもと城下町湧水群」として環境省の平成の名水百選に認定されています。地区東側の清水という地名も、豊かな湧水から付けられたようです。

 

擬洋風建築。幕末から明治ごろに日本の各地で建築された、日本人の大工、宮大工や左官職人らが、西洋人の建築家が設計した建物を参考に、見よう見まねで建てた西洋風の建築物。旧開智小学校はその代表的建造物。

明治の初めころまで、民家はほとんどなく、田や畑だけの寂しい場所でしたが、半ばごろから豊かで質のいい水源を利用し、製紙業が発展しました。今では地域内に小学校と中学校を有する市内でも有数の大町会となりました。

忘れてはいけないのが下横田町。通称「裏町」です。全盛期の大正時代は、置屋60軒、芸者300人を誇り、天神とともに繁栄していました。1946(昭和21)年には料芸組合の2階を借り、才能教育の前身である全国幼児教育同好会が結成され、松本音楽院が設立されました。つまりここが世界の「スズキメソード」の発祥地なのです。信州大

市川量造
市川量造(松本城内に石碑)
1872(明治5)年に松本城天守が競売に出され、235両余で落札された。取り壊されるのを憂い、私財を投げうち、松本博覧会を開くなどし、天守の買い戻しに尽力。その保存に貢献した。下横田町出身。

学医学部の前身である松本医学専門学校もこの地から始まっています。 また松本城解体の危機から救った市川量造や、旧開智小学校の大工棟梁の立石清重、松本てまりを復活させた上條八尾など、多くの著名人も輩出しています。

このように松本の歴史を支えてきたのが、この地区です。古き良き城下町としての面影を大切に守りながらも、より安心安全で住みやすいまちづくりに努めています。

 

 

 

 

知っていますか?

1959(昭和34)年の台風7号(伊勢湾台風)の通過により女鳥羽川が氾濫し、中心地400戸が浸水被害を受けた。

写真は鍛冶橋、鍛冶町付近の当時の様子。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東部地区ぶらりマップ

 

①旧年来寺鐘楼(県宝)

宝永2年(1705)に建立された鐘楼で、高さ12.67mとかなり大規模。念来寺は廃仏毀釈により廃寺となるが、時の鐘を告げていた鐘楼のみが、その後も役割を果たすため破却の難を逃れた。銅鐘は戦時中に供出したので現存していない。

 

②槻井泉(つきいずみ)神社と湧水

槻井泉神社の湧水は、古来より「清冽(せいれつ)な清水」と都にも知られ、和歌にも詠まれた。「まだ知らぬ人を恋うれば信濃なる 清水の里に袖ぞねれける」。御神木のケヤキは松本市特別天然記念物。

 

③女鳥羽の泉

造り酒屋の敷地内の地下三十数㍍から自噴しているおいしい湧水。「お茶・コーヒー等ご自由にご利用ください」と書かれている。

 

 

地名アレコレ

この地名読めますか?

出居番(でいばん)町…口々番所や筏番所に交代で詰め番に出る武士が住んでいた町。

方端(かたは)町…城外武家地で総堀に沿って東の片側だけ町割りされたため。現在は多くの病院と明治期の建築物が並ぶ。

葭(よし)町…女鳥羽川沿いに葭などが多く群生していたから。別説には東京の葭町から水天宮を勧請したため。

餌差(えさし)町…17世紀半ば、6代目水野氏のころにできた城外武家地で、川原町や宮坂町といわれていたが、鷹狩の鷹の餌を取る足軽「餌差」が住んでいたため。

鍛治(かじ)町…武田信玄が川中島の合戦のころ、刀鍛冶を集めた場所といわれ、江戸時代には「甲州刀鍛冶屋」が数軒あった。

 

東部地区町会連合会長 岩城 文夫 さんより

東部地区は、地区の中心に女鳥羽川が流れ、まちの至るところにきれいな湧水があふれる場所です。他の地区に比べて特に寺社仏閣も多く、地域の親睦は文字通り井戸端会議やお寺、神社の縁日などによって培われてきており、こうした地域学習を公民館の「まちづくり講座」などを通じて行っております。 住民の暮らしにおいては、念願であった地区の中央を走る県道の拡幅事業が具体化されるなど、より安心安全で暮らせる住環境づくりを行っていくことが、今後の地域づくりの大きなテーマとなっています。

 

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