田川地区は、松本駅の西に広がった渚、巾上、中条西の12町会からなる。地区内をJR線、アルピコ交通上高地線が通り、さらに国道19号と158号が交差しており、松本市の交通の要衝だ。この利便性から、住宅街の他、警察署、消防署、病院、商業施設などが集まる。

また地区内を、田川、奈良井川、女鳥羽川、長沢川など多くの河川が流れる。江戸時代には犀川通船の船着場が設けられ、1902(明治35)年の篠ノ井線開通まで、物資の集積所としてにぎわった。そのころ、渚付近に製糸工場や染物工場が多数あり、東西に通る野麦街道は多くの人や物が往来。物流の拠点としても栄えていた。

川に囲まれている上、市内で最も標高の低い地域のため、昔から河川の氾濫による洪水に悩まされてきた。巾上の阿弥陀院には供養のための洪水石碑がある。

松本城ができる200年前の室町時代、地域内に「渚城」が存在したとされるが、度重なる水害のため、それを示す遺跡・史跡は残っていない。

洪水の一因であった牛伏川の上流に、明治から大正時代にかけ、「牛伏川フランス式階段工」が造られたことで洪水の被害は収まった。

現在、地区で一番力を入れているのが、地域ぐるみで子供を楽しみながら育てようという「楽育事業」だ。「たがわっ子宣言」(地区版立志式)や「集まれ!!未来人(みらいびと)!」(新成人お祝い事業)などを通し、子供の進学や成人を地域の人たちで温かく祝ったり、子供が安全に登下校できるように「こども見守り隊」を結成し、地域内のパトロールをしたり。

また新入学児童のお祝い事業として「さあ、僕らの仲間になろう」という会を開き、新1年生を優しく迎え入れ、同郷人としての絆を新たに生み出している。 このようにさまざまな行事を行うことで、子供たちが縦のつながりをつくる機会を増やし、子供を通して若い世代の夫婦たちと地区住民がつながりを築けるようになった。

新たな時代を担う子供たちに、この地区で育ったことを忘れずに、誇りに思ってもらえるような地区を目指す。

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