神林地区は鎖川と奈良井川に挟まれた田園地帯で、7町会からなる。松本市内でも古い歴史を持ち、多くの神社仏閣・史跡が今も残る。近年は、サッカーJ2松本山雅のホームグラウンド「アルウィン」のお膝元ということもあり、松本山雅を通じたまちづくりを進める。

地区の西部にある川西遺跡からは縄文時代の集落跡が発見された。また平安時代には現在の長野道神林停留所付近を中心に、「ムラ」がつくられていったことが、下神遺跡の調査により判明している。そのころには「草茂の庄」という荘園が存在していたといわれる。

鎌倉時代には、中国から国内にみそ、しょうゆの醸造法を伝えた高僧「法燈円明国師覚心」が、現在の同地区内で生まれた。国師の生誕地には現在福応寺があり、記念御堂が建てられている。戦国時代には武田軍と地域の豪族の合戦が下神林で起きた。

明治時代に、上神林村、水代村、下神林村、梶海渡村が合併し、神林村に。1889(明治22)年には神林尋常小学校が設立され、菅野小学校ができた1968(昭和43)年に廃校となった。55(昭和29)年に松本市と合併。その後、公民館、体育館、農村広場、福祉ひろばといった公共施設を地区中央に集中させたことで、住民が集いやすい良好な環境ができた。

2001(平成13)年には総合球技場アルウィンが完成。同区に大きな変化をもたらした。アルウィンが松本山雅のホームスタジアムとなったことで、地域全体で応援することに決め、県の地域発元気づくり支援金を受け、のぼり旗などを製作。アルウィン前の寺家信号から二子方面に延びる通称「山雅街道」(神林中央線)沿いには、試合の日に緑ののぼり旗が掲げられ、町全体を緑一色にして選手やサポーターを鼓舞する。

また「神林山雅の会」も立ち上げられ、ホームゲーム終了後にアルウィンの周りのごみを拾ったり、山雅の選手を交えて親睦会などを定期的に開いたり。山雅を応援するという共通の目的を持ったことで、地域内の交流が活発になった。幅広い年代層が応援に参加することで縦のつながりができ、さらに地区全体で盛り上がることで横のつながりもでき、地域の絆が深まっているという。

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